〜Black Music〜その傾向と対策

一口にBlack Musicといっても、いろいろなジャンルがありますが、ここでは一般に“Soul”なんて言われている、ジャンルについてのウンチクを少々おとどけいたします(^−^)//””

つまり黒人は黒人でもUSAの黒人音楽です!

その前に、ほんの少しUSA黒人の先史についてざっとおさらいしておきます(けっこう世界史みたいですが・・)

最初に黒人が奴隷として、北米につれてこられたのは1619年っていいますから、日本史では徳川家康が江戸幕府を開いてすぐの頃ですね。

で、どこからかっていうと大体西アフリカ(ガーナとかナイジェリア、コンゴあたり)の人たちです(機会があれば、このあたりの音楽も一度は聴いてみると◎)

これって以外と大切なことでして、というのも黒人音楽愛好者(黒人以外の)が、絶対に避けては通れない黒人独特の【DEEP】な体質(ジェームス・ブラウンのバラードを思い出してください!ミック・ジャガー(白人では、って言う意味で)が100回生まれ変わっても手に入らない)っていうのがこの頃やその後のつらく、悲しい体験を通して彼らの血の中に脈々と受け継がれていくからなんです。

まあ、この辺のことを詳しく書いてるとそれだけで本一冊できてしまうので、なんとなく覚えておいてくださいw

さて、1776年にアメリカがイギリスから独立しますが、黒人は奴隷のままアメリカ人にもなれずに相変わらずプランテーション(南部に多くあった大農場)でコキ使われています。

そこで辛い日々を憂い、つたない英語で(白人によってアフリカの部族語は禁止されていた)歌を唄いました。歌詞の検閲があるため個人的なことは唄えないので、働けど働けど・・・みたいなやつを口ずさむわけです。でこれを『ワーク・ソング』なんていいます。

一方白人達は、この未開の黒人達を自分たちが信仰する、ありがたいキリスト教に改宗させていきます(まあある意味自分達がやっている奴隷制っていう野蛮な行為にたいしての言い訳ですね)

で、黒人は教会に行くようになります。が、しかし教会の中までは白人の目は行き届かず、ここに初めて彼等は自由になる空間を持ったわけです!

そこで彼等は、白人の賛美歌をマネて、自分達のリズムでもって唄いました『ゴスペル』の誕生です(初期はニグロ・スピリチュアルっていいます)

ここ非常に大事なので少し詳しく書きますね。

自分達のリズムって書きましたが、具体的にいうと、まず元々アフリカでは音楽の主役はタイコなわけですが、これを白人に禁止されちゃうんですね!それでしかたなくコール(呼びかけ)と、リスポンス(答える)でリズムを作っていったんです。よく映画のシーンで神父が「神の声が聞こえるか〜い?」「オー・イェース」「聞こえるかい?」「イェース」なんて場面みたことありません?そうあんなかんじです!

これって、現代のヒップ・ホップにも受け継がれていますよね〜「セイ・ヨーホ」「ヨーオ」なんてね(笑)なんか、スゴイと思いません?日本で言えば、浜崎アユが江戸時代に流行った形式で唄うみたいな・・・(ありえませんねw)

話を歴史に戻しましょう〜1865年にようやくリンカーンによって奴隷解放宣言が発令されます(日本ではもうすぐ明治ってころ)が、ここが問題!というのは、もう何世代も奴隷として生きてきた黒人達にいきなり自由にしていいよ!なんて言ったって生活の術なんてあるわけありません。結局元のまんま・・・でもひとつ変わったことがありました!奴隷じゃないので、何してもOK。つまり農業がいやならしなくてもいい!ってことなんです。もちろん何を唄ってもいいわけですねw

そうなると、持ち運びに軽くて安価なギターとハモニカを持って各地を唄いながらブラブラするやつが出てきます(やっと音楽の話になったw)彼等はジューク・ジョイントって言われていた安酒場や街角で失恋や貧困を嘆き歌にします(こういった気持ち的にブルーな感じを唄ったものを『ブルース』っていいます)それともう一つ大事な題材・・・そうSEX!先に出てきた『DEEP』と同様に、黒人音楽全般に受け継がれるもっとも大事な体質(体臭といったほうがあたってるかもw)もこのころに成立します(ちなみに女性のはジャムパン、男性はヘビ!なんかに例えますw)

こういった最初期のブルースは、南部のデルタ地方(ミシシッピー川の)で発展していったので『デルタ・ブルース』とか『カントリー・ブルース』と言います。

さて、このブルースには、もう一つの意味があります。ちょっとややこしいけど、ガマンしてくださいw今説明したブルースは感じ(feelingですね)であって、音楽的形式ではありません。つまりブルースって何?って聞かれたら・・・陰鬱(ブルー)な気持ちを歌った曲だよ!なんて答えたりします。でもって、これをミュージシャン(あるいは楽器をやったことがある人)に質問すると・・・ブルースとは、3コード、12小節を基本とした構造で、アフリカ的な要素を残したコール&レスポンスの形態とブルーノート(音にはメジャーとマイナー日本的には長調、短調がありますが、そのどちらでもない音ってのもありましてそれがブルーノートって呼ばれてます)を含んだメロディ、さらにシンコペートした独特のリズムを特徴としている。なんてややこしいことになっちゃうwwwまあこの辺は適当にとばしてくださいwここで重要なのは、3コード(これには決まりがあって例えばキーになる音がAの場合D→Eとつながっていきます。これにブルーノートスケールにあたる音を組み合わせると・・・A7→D7→E7これに詩を付けて延々と唄うわけです)を繰り返しやって行くうちに、歌ではなく楽器でもって、アドリブ(即興)でソロを吹く(弾く)やつとかが出てきます。『JAZZ』の誕生です(もちろん本当はもっといろんな過程をへてですが・・・ここは簡潔にねw)

ジャズについてはとても書ききれないので、今回はたった2行で失礼<(_ _)>します(何時の日かまたw)

一方1900年代に入ると、南部のブルースマンたちはもっと人の多い都会(特にシカゴ)に進出していきます。そこで彼等は、より洗練されたメロディーと電気で音を増幅させるエレキギターを手にし人々が熱狂するジャンプ・ブルースへと変貌していきます。そこへゴスペルの歌詞の“神”を女性(男性)に変えてより分かり易い歌中心の曲が作られ出します。やっとここまできました『R&B』リズム&ブルースが生まれました(ヤレヤレw)

そして、このR&Bにたった一人の男がスパイスをふりかけます!FUNKYという強烈なスパイスを・・・その男の名前は・・・KING OF SOULことジェ〜〜〜ムス・ブラウン!!

それ以後(多少異論はあると思いますが・・w)R&Bは『ソウルミュージック』へと進化します。時は1950年代のことでした(チャンチャン)

NHKのその時、時代は動いたみたいになってきちゃったw

その後ソウルはどんどん変貌していきます。60年代はベリー・ゴーディjrなんて人がモータウンを設立し、分かり易いHIT曲を量産したり、J・Bのファンクを誰でもがマネできるようにスライ・ストーンが改革したり、70年代になると、ダンス一色だったソウルに黒人の公民権運動に根ざした黒人としてのアイデンティティーを歌詞に盛り込んだスティービー・ワンダーマーヴィン・ゲイカーティス・メイフィールドたちのニュー・ソウル運動があったり、またモータウンのダンスビートとニューソウルをくっつけて華麗なストリングスにのせたギャンブル&ハフのフィラデルフィア・ソウル(でたww)なんていうのもこの頃のことですね〜

80年代になると、今度は電子楽器を取り入れたファンクバンドが続出!モータウンは場所こそロスアンジェルスに移ったけどまだまだ元気だったし、その後を追うように、TV番組のソウルトレインから発展したソラーなんていうレーベルも大躍進しました。フィリー・ソウルは失速したけどw、本体(ミュージシャン)はニューヨークのサルソウルに移って、プレリュードウエスト・エンドなどと共に後にダンスクラシックって言われることになる、極限にまでシェープアップしたダンス・ミュージックを作り始めたのも80年代でした。

そして、決定的だったのは、なんと唄わずにしゃべくりまくるラップなんていうのも80年代生まれなんだな〜知っての通りこれがまわりの文化まで巻き込んで、ヒップホップカルチャーになってしまうのであります(ちょっと苦手分野かも)

90年代は・・・・もう説明はいりませんね(-^〇^-) ハハハハ

最後はかけあしでしたが、なんとなくわかりましたかね?っておい!寝るなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ

以上黒人音楽愛好家soulsnizyが独断と偏見でおとどけ致しましたドモ \(^_^ ) ( ^_^)/ ドモ